ページ

2018年8月14日火曜日

コンクリートレリーフ

コンクリートレリーフ(山田雅夫)
2010年2月21日 投稿者: aterierguildの修復

歴史上、コンクリートを型に流し込んで建造物を作る工法は、まだ100年ほどしか経っていないとされてます。
  • 1923年、世界最初の現場打放しコンクリートの建築、ル・ランシイのノートル・ダム聖堂がフランスに登場する。
  • 1924年、アントニオ・レーモンドの霊南坂の家が、日本で最初の本格的な打放しコンクリート建築ではないかと言われている。
  • 1925年から26年、「BAUHAUS」という文字が印象的なバウハウス・デッサウ校舎は工期わずか13カ月で完成した。
  • 1925年~1928年、第二ゲーテアヌムは打ち放しコンクリートによる、至上最初の、最大規模の彫塑的な表情を持つ作品である。

それにしても、いきなり彫塑的な建築を何の前例なしにコンクリートで成し遂げた第二ゲーテアヌムには驚かされます。

さりとて、造形の観点からすれば驚くことでもありません。この型枠への流し込みの技法は彫刻ではごく一般的な技法であり、古代から伝わっている原始な発想だったからです。

要するに、一般的な建築家よりもむしろ彫塑的素養のある建築家が最初に気付いてしかるべき工法といえるでしょう。

定説では100年ほどと言われていますが、コンクリートの使用はすでにエジプト時代にみられます。今日のコンクリートとケタ違いに丈夫で長持ちしています。かの有名なルクソス神殿のレリーフは石の荒彫りの上にコンクリートを練ったモルタルを被せて浮き彫りにしていますし、ピラミッドの石材を重ねた隙間には1mmほどのコンクリートが接着剤として使われていました。

今日のコンクリートと成分が違い、数千年もつとされています。
その技法はローマンコンクリートに引き継がれローマ時代の建築に使われ、今日のポルトランドセメントが発明されるまで使われていたそうです。
なぜか今日ではその技法が失われて誰も知らないように焚書されてしまいました。


さて、今回紹介するアトリエギルドの仕事は、1986年施工、埼玉県のある会社(常盤産業)の入り口と応接室に施されたコンクリートレリーフです

コンクリートによる 「打ち放し」が流行っていたころでした。よく文字の掘りこみが使われており、その雌型に使われるのはスチレンのボードでした。

アトリエギルドの仕事は主に造形なので、凹型だけでなく凸型も使いました。凸型は型枠を厚めに設定しておき、それから掘りこまなければなりません。

ましてや壁一面なので流し込みの際型枠はかなり荒っぽく扱われます。

よって、スチレンボードを使わず、コンクリートパネルの合板を張り合わせて型枠の素材にしました。

型枠がしっかり剥がれるように、剥離剤はウレタン樹脂を使っていました。



上の写真は社屋入り口ではないでしょうか。どこの設計事務所の仕事か、私(村田)には分かっていません。それ以上は不詳ですので、後に補足する予定です。

下の写真は応接室の壁面。

制作したことは記憶にあります。電気ジグゾーソウで形をくり貫き、ノミやヤスリで成形しました。







2018年7月24日火曜日

名古屋中区栄の喫茶店のモザイク壁画

モザイク壁画 宮内淳吉制作
2010年2月13日 投稿者: aterierguild の修復。




これは名古屋中区栄の喫茶店の壁画でです。喫茶店の名前は”いとう”、この写真がいつの時代か不明です。

1970年代は確かなようです。今現在あるのかどうか分かりません。既に48年たっています。

山田雅夫氏によれば、モザイクは宮内淳吉氏制作とのこと。先日、山田氏にお会いした際、別れ際に聞いたので詳しいことはそれ以上分かりません。

ただ、材質だけはうかがってきました。

最初写真を見たとき、その質感から石材や磁器ではないし、陶土にしては光沢もあり、見たことのない材料なので疑問に思っていました。

実は、瓦と同じものなんですが、瓦ではありません。

瓦を割って作るモザイクピースの割り肌は、何の光沢もなく光を吸収して沈みがちの色調を帯びます。

しかし、これには光沢もあり壁に張りとつやが感じ取れます。

よく見ると一本の長いピースに斜めのラインの凸凹が入っています。

このラインがピースの束にシンクロし、さらに壁全体を大胆に走るラインにシンクロし、一連のフラクタル構成を描いています。

この点に、材質や材料を見極め、装飾へと転用した、デザイナーの力量がうかがえます。

その材料の正体は、瓦を焼くときに副次的にできる紐土というものだそうです。

先日、山田雅夫氏が説明してくれました。


②、瓦を焼く時は、釜の中で瓦を立てて並べます。


①、その際、傷がつかないように、あるいは火の回りを良くするようにひも状の土をクッション代わりにするそうです。

③、紐土は1センチ角の棒状で、瓦をおくことで凹みができるのです。




もう一枚の写真は窓を向いています。

窓から見えるビルヂングや隣の瓦屋根の様子が時代を感じさせてくれます。

画像消失

窓の形が台形で、左右が下がったこの形は、できるだけ間接光が入るように配慮したのでしょうか。

モザイクがもっとも美しく冴えるのは、天井に施された場合です。

それは教会などのドーム状の天井壁が間接光を受けるの最適な空間でもあるからでしょう。

中央の窓際に見える半円形のものは、何でしょう。

新聞や雑誌を入れるラックでしょうか。

このデザインも山田雅夫氏のような気がします。
画像消失



他、写真三点ありますが、フォトのモザイク壁画のファイルに収めておきます。

ファイル消失

田原市野外勤労者施設のフレスコ画

フレスコ画デザイン 山田雅夫
2010年2月18日 投稿者: aterierguild の修復


今、問題となっているトヨタのプリウス、愛知県の田原工場で作られています。

その工場ができて5年後の1985年、

工場入り口の公園緑地帯にある公共施設ができ、アトリエギルドはそこでフレスコ画を描いておりました。

当時はランドクルーザーが流行、世界のトヨタを邁進していたころです。




その施設の中に壁画を描いたのは山田雅夫氏。

絵も書き、彫刻、ランドスケープ、住宅店舗建築、アートワークと何でもやっておりました。

その現場では私以外に、現在日本画家の鈴木敬三氏がこの制作を手伝っていました。



黄色い色調に青いリングのフレスコ画。





黄と青の色調は、この地方の暖かさと空の色表わしており、

描かれている鳥たちは、ここ田原の干潟に飛来する野鳥や渡り鳥を描いています。

ありふれたモチーフだと、当時の私は感じておりました。

まだ世の中は、今日ほど環境には目を向けていなかったころです。

今となって、ここに描かれているリングが自然の循環を示していることに気づかされます。




フレスコ画の制作風景です。

下地の消石灰が乾かない内に絵の具を載せていくので一定のリズムが要求されます。

右の写真は、その右側の壁に掛けられた原寸大の下書き、これを見ながらの作業を行なっていました。

山田雅夫氏は、しばし原寸大の下書きやデッサンを行ない制作に挑んでいました。

高画質写真4点は、ウェブファイル(フレスコ画)に収録されています。