2010年2月21日 投稿者: aterierguildの修復
歴史上、コンクリートを型に流し込んで建造物を作る工法は、まだ100年ほどしか経っていないとされてます。
- 1923年、世界最初の現場打放しコンクリートの建築、ル・ランシイのノートル・ダム聖堂がフランスに登場する。
- 1924年、アントニオ・レーモンドの霊南坂の家が、日本で最初の本格的な打放しコンクリート建築ではないかと言われている。
- 1925年から26年、「BAUHAUS」という文字が印象的なバウハウス・デッサウ校舎は工期わずか13カ月で完成した。
- 1925年~1928年、第二ゲーテアヌムは打ち放しコンクリートによる、至上最初の、最大規模の彫塑的な表情を持つ作品である。
それにしても、いきなり彫塑的な建築を何の前例なしにコンクリートで成し遂げた第二ゲーテアヌムには驚かされます。
さりとて、造形の観点からすれば驚くことでもありません。この型枠への流し込みの技法は彫刻ではごく一般的な技法であり、古代から伝わっている原始な発想だったからです。
要するに、一般的な建築家よりもむしろ彫塑的素養のある建築家が最初に気付いてしかるべき工法といえるでしょう。
定説では100年ほどと言われていますが、コンクリートの使用はすでにエジプト時代にみられます。今日のコンクリートとケタ違いに丈夫で長持ちしています。かの有名なルクソス神殿のレリーフは石の荒彫りの上にコンクリートを練ったモルタルを被せて浮き彫りにしていますし、ピラミッドの石材を重ねた隙間には1mmほどのコンクリートが接着剤として使われていました。
今日のコンクリートと成分が違い、数千年もつとされています。
今日のコンクリートと成分が違い、数千年もつとされています。
その技法はローマンコンクリートに引き継がれローマ時代の建築に使われ、今日のポルトランドセメントが発明されるまで使われていたそうです。
なぜか今日ではその技法が失われて誰も知らないように焚書されてしまいました。
さて、今回紹介するアトリエギルドの仕事は、1986年施工、埼玉県のある会社(常盤産業)の入り口と応接室に施されたコンクリートレリーフです
コンクリートによる 「打ち放し」が流行っていたころでした。よく文字の掘りこみが使われており、その雌型に使われるのはスチレンのボードでした。
アトリエギルドの仕事は主に造形なので、凹型だけでなく凸型も使いました。凸型は型枠を厚めに設定しておき、それから掘りこまなければなりません。
ましてや壁一面なので流し込みの際型枠はかなり荒っぽく扱われます。
よって、スチレンボードを使わず、コンクリートパネルの合板を張り合わせて型枠の素材にしました。
型枠がしっかり剥がれるように、剥離剤はウレタン樹脂を使っていました。
上の写真は社屋入り口ではないでしょうか。どこの設計事務所の仕事か、私(村田)には分かっていません。それ以上は不詳ですので、後に補足する予定です。
下の写真は応接室の壁面。
制作したことは記憶にあります。電気ジグゾーソウで形をくり貫き、ノミやヤスリで成形しました。
なぜか今日ではその技法が失われて誰も知らないように焚書されてしまいました。
さて、今回紹介するアトリエギルドの仕事は、1986年施工、埼玉県のある会社(常盤産業)の入り口と応接室に施されたコンクリートレリーフです
コンクリートによる 「打ち放し」が流行っていたころでした。よく文字の掘りこみが使われており、その雌型に使われるのはスチレンのボードでした。
アトリエギルドの仕事は主に造形なので、凹型だけでなく凸型も使いました。凸型は型枠を厚めに設定しておき、それから掘りこまなければなりません。
ましてや壁一面なので流し込みの際型枠はかなり荒っぽく扱われます。
よって、スチレンボードを使わず、コンクリートパネルの合板を張り合わせて型枠の素材にしました。
型枠がしっかり剥がれるように、剥離剤はウレタン樹脂を使っていました。
上の写真は社屋入り口ではないでしょうか。どこの設計事務所の仕事か、私(村田)には分かっていません。それ以上は不詳ですので、後に補足する予定です。
下の写真は応接室の壁面。
制作したことは記憶にあります。電気ジグゾーソウで形をくり貫き、ノミやヤスリで成形しました。