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2018年7月24日火曜日

名古屋中区栄の喫茶店のモザイク壁画

モザイク壁画 宮内淳吉制作
2010年2月13日 投稿者: aterierguild の修復。




これは名古屋中区栄の喫茶店の壁画でです。喫茶店の名前は”いとう”、この写真がいつの時代か不明です。

1970年代は確かなようです。今現在あるのかどうか分かりません。既に48年たっています。

山田雅夫氏によれば、モザイクは宮内淳吉氏制作とのこと。先日、山田氏にお会いした際、別れ際に聞いたので詳しいことはそれ以上分かりません。

ただ、材質だけはうかがってきました。

最初写真を見たとき、その質感から石材や磁器ではないし、陶土にしては光沢もあり、見たことのない材料なので疑問に思っていました。

実は、瓦と同じものなんですが、瓦ではありません。

瓦を割って作るモザイクピースの割り肌は、何の光沢もなく光を吸収して沈みがちの色調を帯びます。

しかし、これには光沢もあり壁に張りとつやが感じ取れます。

よく見ると一本の長いピースに斜めのラインの凸凹が入っています。

このラインがピースの束にシンクロし、さらに壁全体を大胆に走るラインにシンクロし、一連のフラクタル構成を描いています。

この点に、材質や材料を見極め、装飾へと転用した、デザイナーの力量がうかがえます。

その材料の正体は、瓦を焼くときに副次的にできる紐土というものだそうです。

先日、山田雅夫氏が説明してくれました。


②、瓦を焼く時は、釜の中で瓦を立てて並べます。


①、その際、傷がつかないように、あるいは火の回りを良くするようにひも状の土をクッション代わりにするそうです。

③、紐土は1センチ角の棒状で、瓦をおくことで凹みができるのです。




もう一枚の写真は窓を向いています。

窓から見えるビルヂングや隣の瓦屋根の様子が時代を感じさせてくれます。

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窓の形が台形で、左右が下がったこの形は、できるだけ間接光が入るように配慮したのでしょうか。

モザイクがもっとも美しく冴えるのは、天井に施された場合です。

それは教会などのドーム状の天井壁が間接光を受けるの最適な空間でもあるからでしょう。

中央の窓際に見える半円形のものは、何でしょう。

新聞や雑誌を入れるラックでしょうか。

このデザインも山田雅夫氏のような気がします。
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他、写真三点ありますが、フォトのモザイク壁画のファイルに収めておきます。

ファイル消失

田原市野外勤労者施設のフレスコ画

フレスコ画デザイン 山田雅夫
2010年2月18日 投稿者: aterierguild の修復


今、問題となっているトヨタのプリウス、愛知県の田原工場で作られています。

その工場ができて5年後の1985年、

工場入り口の公園緑地帯にある公共施設ができ、アトリエギルドはそこでフレスコ画を描いておりました。

当時はランドクルーザーが流行、世界のトヨタを邁進していたころです。




その施設の中に壁画を描いたのは山田雅夫氏。

絵も書き、彫刻、ランドスケープ、住宅店舗建築、アートワークと何でもやっておりました。

その現場では私以外に、現在日本画家の鈴木敬三氏がこの制作を手伝っていました。



黄色い色調に青いリングのフレスコ画。





黄と青の色調は、この地方の暖かさと空の色表わしており、

描かれている鳥たちは、ここ田原の干潟に飛来する野鳥や渡り鳥を描いています。

ありふれたモチーフだと、当時の私は感じておりました。

まだ世の中は、今日ほど環境には目を向けていなかったころです。

今となって、ここに描かれているリングが自然の循環を示していることに気づかされます。




フレスコ画の制作風景です。

下地の消石灰が乾かない内に絵の具を載せていくので一定のリズムが要求されます。

右の写真は、その右側の壁に掛けられた原寸大の下書き、これを見ながらの作業を行なっていました。

山田雅夫氏は、しばし原寸大の下書きやデッサンを行ない制作に挑んでいました。

高画質写真4点は、ウェブファイル(フレスコ画)に収録されています。


2018年7月10日火曜日

オニキスによるステンドグラス



オニキスによるステンドグラス(デザイン山田雅夫)
2010年2月9日 投稿者: aterierguildの修復


 ステンドグラスというと、よく、ケームといって鉛のフレームを色ガラスに固定してつなげていく技法によるものがあります。
しかし、この度紹介する作品は色ガラスに代わって大理石の一種オニキスによるものです。

 この石は様々な鮮やかな色調を帯びており、流動的な模様があることで縞メノウに似ています。
その中でも緑は貴重な箇所で、今日では入手が大変困難になっています。

 写真は、1986年当時の仕事で、名古屋の名城大学図書館に設置されました。設計は丹羽英二設計事務所です。

図書館入り口より正面東向きに位置しています。
正面近くまで行った写真を見てみましょう。
中二階まで上がるとその全容が見えてきます。


緑色ではなくベージュのような色合いがオニキスです。所々にある強い色は、色ガラスです。
印象が強かったせいか、光具合で緑がレンズには写らないのか、その辺はわかりません。
しかし、私(村田)には、かなり緑色のオニキスを磨いていた記憶があります。

 「緑の光」はジュール・ベルヌの小説では、太陽が沈む最後の光が屈折のせいで緑に見えるというもの。
そしてその光を見た者は自分の心と相手の心がはっきりとわかると言われています。
ここでもステンドグラスで緑の光が差し込むことがあるのでしょうか。


 当時、学生最後の年の夏、この石を磨く作業に参加したのが、アトリエギルドとの最初の出会いでした。

 オニキスは厚み5~7mmほどで、石の中ではもろいため、5mm厚の600×1200大ぐらいのガラス板でサンドウィッチになっています。

当時、作業はモザイク作家の関谷明夫氏が中心になって行なっていました。

板ガラスに薄いオニキスの板を並べて、大変強烈なにおいのするシリコンで固定していたのを思い出します。


これは3階の渡り廊下から望んだ写真です。
これは何を描いているのでしょか。ミステリーサークルのようで、なぜかSF的な感じがします。

他2点写真あり、アルバムに収録されています。
こちらからご覧になれます。


デザイン:山田雅夫
発注:丹羽英二建築設計事務所

施工:鹿島建設名古屋支店

2018年7月9日月曜日

西澤豊のエジプト編Ⅰその2

2010年2月6日 投稿者: aterierguildの修復

 ピラミッドの真近からはその全容は見えません。
基段部から、切り出しの石材ブロックが荒々しくむき出しにされています。
この石段の無造作に崩れた面が、遠く離れれば明確な輪郭を形成しています。
この写真のねらいは、このコントラストにあります。
これにより、部分写真であるにもかかわらずピラミッドの壮大な大きさを感じさせてくれます。




ピラミッドの謎

 ピラミッドは石灰岩のブロックでできているがますが、当初はそれだけではありませんでした。
現在のようにむき出しになる前は、下段部もしくは全面が花崗岩の板で厚く覆われていたそうです。
この石はとても硬く、特殊な刃物かのみでなければ加工できません。
さらに、その表面は磨かれていたといいます。現在でも基壇部の足元にわずかな痕跡が見られるそうです。
中世に起きた地震によって表面の花崗岩が崩れ落ちたという説がありますが、それ以前から既に石材のはぎ取り作業は始まっていました。
モスクを始めカイロの町がこの石材でできたといわれています。

 ピラミッドには幾つかの目的があったそうです。
その目的・機能は、我々の文明の技術では追いつかないレベルにある模様です。
その内の一つはピラミッドの形状にあり、この形状がある磁気的エネルギーを集約する装置の役目をはたしていたそうです。
磁気的エネルギー集積は内部に珪砂を大量に詰め込んであることからも分かります。
どうやらケイ素を主成分とした鉱物をこの種の形状に詰め込んでおくと電気仕掛けの装置になっていたようです。

 次に続く西澤氏の写真にミナレットがありますが、これも当初はその目的のため珪砂が詰められていたそうです。
磁気エネルギーの集約はこれだけでなく、地球や太陽系の動きも利用していました。
太陽系は昂(プレアデス星団)の恒星(アルシオーネ)を中心に運行していますが、地球が太陽の周りを公転する間、一年の内2回この恒星の影響を受ける日があります。
この日に地磁気は大量にピラミッド内部に集められ、余剰エネルギーは頂点より上部へと放散させられると言われています。
その利用についてはいまだ明かされてはいません。

 私の直感ですが、その上層に放出したエネルギーは何か映像のようなものを映し出していたのではないでしょうか。しかも、巨大な三次元映像のようなものを中空上に。

 思わず、このような巨大な像を目にするとそう想像したくなります。
下の写真はナイルの河岸に埋まっていたラムセス2世の巨像。発見されたその場へ建物を作って博物館にしたそうです。

質感が実に生々しい写真です。



その他、10点の写真は西澤豊氏のファイルに収録しました。
こちらからご覧になれます。

2018年7月7日土曜日

写真家 西澤豊のエジプト編Ⅰその1

 アトリエギルドの写真家、西澤豊氏は、写真による芸術作品を発表していました。
その一つ、作品タイトルは「絵画との訣別」
そう主張するだけに、写真とは何か、その本質を常に捜し求めていたようです。特に光に話が及ぶと感情が高ぶっていました。

 このエジプト編は、太陽神・ピラミッドやミナレットの頂点そして照りつける石のなかに光を求めた氏の主張でもあります。

「若いころ見たエリザベステーラー主演の映画「ピラミッド。あの巨石を、一度はみたいものだと思い続けて、やっとエジプトへ行く機会があり、そのとき撮影した作品でこのカレンダーを作ってみました。」  
 西澤 豊

以下、エジプト編のカレンダーより数点抜粋してご紹介します。
なお他の作品は収録ファイルをご覧ください。
 
この方向からのスフィンクスを撮った写真は、今日では普通ですが、以前はまれでした。たいていは正面を向いていて、その背景にピラミッドでした。
左端には、幼い子供が悠々と立っています。母親たちとは対照的です。
そして、中央左の女性の横顔がスフィンクスの横顔と同調してます。
この写真には、こうした視点による三角形が他にもあり、ピラミッドを基点としダイナミックに構成されています。







スフィンクスの謎

 スフィンクスには不可解な点があります。
頭と胴体が同調していない、頭の後付けの可能性が高いのです。
お気付いた方もおられると思います。首が太すぎる点は崩壊を防ぐため後に盛り固めた痕跡です。
さらに、この頭が当初から人の頭であったことは今日疑わしくなってきています。
既にグラハム・ハンコック氏の著書でも明らかになっている様に、当初のスフィンクスはピラミッドより古く1万年以上と推定してます。
首より下は長い期間暴雨と水浸により侵食されていて、1万年以上前の大洪水によるものだといってます。
当然、頭などは原型を遺してはいなかったでしょう。後世の作であることが察せられます。

 ハンコック氏によればこの頭はライオンであったといいます。
ピラミッドは建設当時、獅子座の方向にあわせて設計されたからです。

 ライオンといえば、太古より太陽を示す象徴です。
ペルシャに渡り、シルクロードを経て高麗に渡り、狛犬となっています。
となると、スフィンクスは一対であったのではないでしょうか。
もう一方はまだ埋もれたまま、あるいは風化して跡形もなくなったのでしょうか・・・。

 

次回はピラミッドの謎に迫ってみます。

2018年7月6日金曜日

にじの森幼稚園外壁コンクリートレリーフ

(デザイン山田雅夫)

 1982年8月、日付のみ写真の裏に記載あり。
豊橋の飯村町にある、にじの森幼稚園、その南口玄関にあるコンクリートレリーフです。

 約28年前、このあたりは開発が急ピッチに進んでいました。
園長先生が幼稚園の周りが森だったので園の名前に「森」を入れたと言うのを聞かされた記憶があります。
いつだったか幼稚園ができたてのころの写真を見た事があります。周りが森で、今のような住宅地など全く見えませんでした。

 コンクリートレリーフは山田雅夫氏はかなり手がけています。一時はお店や社名のロゴやってました。
これはその初期のころだと思います。

西澤豊氏との会見

2010年1月19日 投稿者: aterierguild の修復
 本日、アトリエギルドの写真使用に関して、その当事者の一人でもある西澤豊氏の承諾を得ようと、豊橋のある喫茶店でお会いしました。
話のついでに、このブログの掲載を山田雅夫氏オンリーの内容にするよりも三宅亨氏をも含めた三人の内容にしたほうが良いかと感じました。
 久しぶりにお会いし、話は写真と絵画の違いに入り込みました。この辺の話は、またいつの日か記しておきたいです。
 この日、西澤氏よりエジプト編のカレンダーを購入。このピラミッドは以前から私のサイトにも使ってみたかったのです。
黄昏時、このピラミッドの頂点上方には月が輝いている。画面下方、ピラミッドの基底部に、かすかに馬車が見える、ロバか牛でしょうか。日没に従い急速な砂漠の冷え込みを感じます。

2018年7月2日月曜日

モザイク壁画 1984年 ブティックフランドール

モザイク壁画 1984 ブティックフランドール(デザイン山田雅夫・制作:宮内淳吉))

 早速、写真をスキャンニングし始めました。とても量が多い。
写真が収まったファイルが9冊で約360枚、簡易ファイルも含めたら500枚近くになりそうです。
取り合えず、主要なものだけを載せていく予定です。
ファイルにはほとんど情報がありません。わずかに写真の裏に場所や年代が記入されている程度なので。分かる範囲で記していこう思ってます。

 1984年、私はまだ学生でした。だからこの仕事にはたずさっていませんが、山田雅夫氏に連れて行ってもらった記憶があります。店内でコーヒーを飲みました。
店長が女性だったので、ここはブティックだった記憶があります。
西岩田のあたり。定かではありません。今もあるのかどうかもわかりません。

モザイクピースは銀の磁器タイル特注で作らせたもの。ほとんど焼き締瓦の素材なので、この手は難しいとか言ってました。
ところどころアクセントで色物ピースを使っています。それが全体を際立たせています。
このころは関谷さん、小原さんが現場制作していたのでしょうか。

※後日、この壁画はモザイク作家の宮内淳吉氏の制作・デザインは山田雅夫氏であることが判明しました。


2018年7月1日日曜日

アトリエギルドのロゴマーク

アトリエギルドのロゴマーク(三宅亨)


 アイコンには御三方の写真を載せる予定したが、当面問題がなければアトリエギルドのロゴマークにでもしておこうと思います。

 このマークは、写真ファイルにはさんであった山田雅夫氏の名刺からスキャンしたものです。
デザインは三宅亨氏。見事なプロポーションで構成されています。
か細い線にもかかわらず、力強い躍動感があり、かつ静的な印象を与えてくれます。

 まさに造形といった仕事にふさわしいロゴだと思います。その構成にはほとんど隙が無いように感じます。構図的には背景に三つの円が描かれ、それぞれが別方向に回転しているのが見えます。

 フォント・文字の力をマスターした氏の経験がこのロゴから伝わってきます。
よく見ると手書き。微妙なグラデーションがかかっています。

三宅亨氏のデザインには、日本の家紋に見られる様な何か非常に完成度の高いものを感じます。