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2010年6月29日火曜日

ハコモノ・アート


バブル直前の日本経済は公共事業がピークをむかえていた。コンペやらも盛んで、アートファニチャー・パブリックアート・アートワークといった言葉を一包めとするハコモノ・アートの華やかし時代である。
すでにそのためのマーケットも出来上がっていたが、バブル期以降この流れは金の流れ同様に途絶えた。

行政に代わり市民がまちづくりに自主的に参加する動きは、ソビエト崩壊によって続出したNPOが発端だ。これは共産主義型社会が招いた国家の崩壊だった。それに対して市民が自ら立ち上がって社会の機能を回復しようとしたのだ。
だが、それ以前にP.F.ドッラガーは資本主義型社会においても、この非営利(NPO)組織の台頭を予告していた。今日、資本主義型社会はすでに限界に来て崩壊直前である。

バブル期以降、日本でも市民活動の動きが活発になった。アートによるまちづくりや地域活性へと流れが変わっていった大きな要因は、気づけば景観がずたずたになっていたからであろう。
景観だけでなく、経済や人間社会を含め環境が危機的状況に陥っている。この状態が推移すれば、多くの先進国でも国家経済の破綻は免れない。

むしろ端的にいえば、旧文明の使命は終わろうとしている。宗教に頼って、あるいは利用した時代があったように、集権国家に依存する、あるいは利用する時代が終わりを告げようとしている。

長い間アートはハコやフレームに入っていればよかったが、徐々にあらゆる分野へと浸透し始めている。
アートによる救済は問題となっている経済・環境といった外部にあるのではなく、その要因を作り出した我々のなかにあるのだ。


さて、今回は愛知県大府市のある公共施設での仕事。
20年前に出来上がったモザイク壁画。
絵のデザインは山田雅夫氏ではなく、地元の作家が原画を用意し、それを元にしてアトリエギルドが作った。



                                              1991年1月施工
                                              大府市勤労文化会館
                                              発注者:大府市役所
                                              原画:森岡完介「時に流れて・・・十二支より」
                                              材料:瀬戸市赤津出土による陶磁器ピース
                                              モザイク画:H4.6m×21m、45㎡




2010年6月23日水曜日

曼荼羅を消すことの意味

ガラスピースによるモザイク壁画です。
上の画像は個人病院の待合室の壁画であり、下のは喫茶店の壁画です。場所も年代もはっきりしていません。
写真が若干色あせているので比較的初期の仕事かと思われます。
材料は色ガラスのテッセラ(モザイクピース)ですが、よく名古屋の地下鉄構内でも同じようなピースが壁画にも使われているのを見かけます。
デザイン:山田雅夫、制作:作野旦平

制作・デザイン:山田雅夫


2010年6月9日水曜日

象形文字の立体化とその変容

アトリエギルドの仕事で、透かし彫り彫刻はよく山田雅夫氏がいくつもてがけておりました。
木で彫ったものと鋳造が主な技法ですが、この作品はアルミニウムの鋳造によるものです。
植物の細胞(セルロース)が巨大なフレームに樹木となってがっちりと固まっている大変力強い作品です。



これを見ていると、どこか漢字の古代象形文字とイメージが重なるのに気付きます。
文字はコミュニケーションの道具ですが、その発見は人とのコミュニケーションのためでなく、むしろ人以外の存在が発する人間へのメッセージだったのではないかと思うのです。

文字には象形文字と音表文字がありますが、アルファベットは発見の初段階では象形文字だったことが分かります。音にかたちを見い出した太古の人々がいます。彼らにとってかたちと音は今日では想像できないほど非常に密接だった様です。

今回、その結論に至るまでの内容は省きますが、音がかたちを作り出すことはすでにエルンスト・クラニドが発見したクラニド図形が示しています。



W1200×H1400×D60 1986年制作
発注者:ミタカ工業 神田弘
アルミ鋳造会社の事務所
施設内外をさえぎる透かし彫りのスクリーンを演じる
アルミニウム鋳造による、ラカー塗装
制作・建築設計デザイン:山田雅夫

2010年6月3日木曜日

太古の時代とシンクロする壁画



浜松南口より5分のところにあるマンションの地上階、外部に至る通路内壁に施された壁画です。
このモザイク画も瓦の材質によるロングピースをふんだんに使い、動きのある造形を作り出しています。
ところどころ、レンガ色のピースの他、ヅマルトといって金箔が裏貼りされたガラスピースがアクセントとして用いられています。
この画像の箇所左側にも同様の壁画があるのですが、その写真大判2枚は残念ながら欠落しています。
モザイクピースが、重厚な地層のように連なり、うねるような量感を作り出していたのを記憶しています。
この画像の壁画も動きは入り乱れていますが、何か地層のような、あるいは鉱物の断面を見ているような気がします。
以前、鳳来寺山(愛知県)の近くで1500万年前の岩層を見たことがあり、それを思い出しました。
そこは山道を作る現場で、岩山を削った直後なのでコケもなくまったくきれいな状態でした。白い岩肌に青や赤の液体の帯のような縞が鮮明に浮き上がっていました。しかも波打って、それはまるでどろどろの液体の中をさまよう色を帯びた存在が一瞬で凝固した感じに見て取れました。
これは、鉱物というより粥状の流動物だったことが分かります。当時の地球の様相は現在と相当異なり大気が今より濃密で、時代をさらに下れば、地表と大気との境も今日ほどはっきりとはしていなかったそうです。
大地は流動的で重力も現在よりかなり低かったのではないかと思います。
当然濃密な大気により太陽からの照射は抑えられ、昼間の太陽は霧状の大気を通してぼんやりとした輪郭を描いていたでしょう。
パンゲアとは、大陸移動説です。今日の全ての大陸が太古の時代一つであったという説です。
今から約2,300万~1,500万年前、日本列島が ユーラシア大陸から分離して弧状列島になったころです。
この説に従えば、一つの大陸以外は海であったとも受け取られます。そして地球の半分以上がそのような海だった。
まだ地球は今日ほど硬化しておらず、外殻も柔らかく、重力も軽く、それゆえく巨大な生物が自身を支えて闊歩し、地上を飛び交うことができたといいます。
ここでパンゲアの地図を見ると、大陸以外の海はかなり広いですが、実際は陸より狭い湖だったのではないかという説があります。すなわち、地球は現在よりも小さかったということです。
これは考えられることです。地球は生物の器ではなく巨大な生命体でもあるからです。要するに、成長していて大きくなっているのです。
植物の種子のように栄養素を内に備え大きくなっているという説です。徐々に年代が登るにつれてふくらみ、大陸が分裂し、硬化していったのでしょう。濃密な大気が希薄になるにつれて大量の水に絞り変えられ海になっていったことが予測できます。このあたり日本の神話を想起します。
モザイク制作は全て現場にて直張りでの作業、モザイク作家の関谷氏のほか小原氏も制作にあたっていました。
他、写真1点は、ファイル『モザイク壁画』に収録されています。

1984年1月制作
マンションロビーのモザイク壁画
場所:浜松市中区砂山町 浜松サーラ
設計・発注:野口建築設計事務所
原画制作:山田雅夫
建築施工:鹿島建設名古屋支店
素材:素焼きピース・一部テッセラ(ガラス)使用